土日は受験生らしくない生活をしました。
土曜日に母がアパートに来て、
引越しの見積もりをして、
そのままその日は泊まって、
翌日、母子で八景島シーパラダイスに行ってきました。
八景島シーパラダイス、すっごく良いとこだった。
金沢八景からのシーサイドラインで八景島まで行く道のりも素敵。
こんなとこに実家あったらちゃんと帰るのに~。笑
ホントはどんだけ良い水族館か語ろうと思ったけど、
シーパラに行く楽しみが半減しちゃうと思うのでやめます。
っていうか、この2日間すごく衝撃的なことがあって。
結論から言うと、
あたし、
初めて、
母親が死んだら泣くなーって思って涙した。
金沢八景から横浜に帰る時、
母はそのまま品川まで乗って茨城帰るんだけど、
横浜までの時に、
母が死んだらって考えたら涙出てきた。
もちろん母にはそんなの見せんけど。
この2日間が今までほど苦じゃなくて、
それなりに親子らしいことしてて。
なんだろう。
いろんなこと考えての涙だったから、簡単には表せないんだけど。
1日目にどこの病院に勤めるかを話してて、
結局実家からすごく離れた大阪に勤務することにして、
社会人になった後の話とか、
携帯どうするとか家はとか、
なんつーの、、、
今まで携帯とか家賃とか生活費とか、
そういうの全部親だったから、
それがなくなるのか・・・ってすごく思った。
別にかじるすねがなくなるとかじゃなくて、
今まで離れて暮らしてたけど、
かろうじてそういう金の部分だけで結構つながっていたところがあったから、
なんか、、、つながりがなくなる。。。。
みたいな寂しさがあった。。。
あと、親がアパートの体脂肪計乗ろうとしてて、
セッティングしてあげた時に、
「何歳?」
って聞いたら、57歳って言われて、、、
もうずっとしばらく親の年齢気にしてなかったけど、
50歳前半だと思ってたし、
あと3年で60ジャン!!って思った衝撃が結構でかかった。
夕食とかも食べる量全然少なくて、
そんだけしか食べないの?!ってぐらいだったし。
一気におばあちゃんに見えた。
肌黒くてよくわかんなかったけど、
よく見たら顔のしわ結構あるし。
子供のころ、
小学・中学生の頃ってさ、
結構親って身体的にも精神的にも自分より上じゃん?
んで、上な時期が自分の初期からだし、結構長いじゃん?
だから高校・大学になっても、
いつの間にか親より成長してる部分があるのに、
それに気付かないんだよ。
先入観が強くて。
でもある時、
親がもう自分より強くないっていう現実に気づく。
自分がすごく精神的に成長したり、
身体強くなったり、
それか、
親が身体的に衰えているのを見たりしたときに。
それがあたしにとって、
今回のことなんだ。
大学入って、
本当に身体も鍛えたし、
精神的にもつらいこといっぱいで、でもそれ乗り越えてメンタル強くなって。
親追い越したことにも気がつかないくらい毎日必死で。
それが卒業っていう節目の時にいろいろ振り返ることになって。
なんだろう。。。
ほんとにうまく言えないんだけど。
あたしが今でも涙を流してしまうのは、
ただ単に親から離れるのがさびしいって感覚だけじゃないの。
反抗期とはいえ、
大学在学中ずっとまで親を忌み嫌ってたのが本当はすごくつらかった。
親の絶対的な存在が苦しかった。
“良い子”・・・ではないか。
ずっと“なんでもできる子”をやってこなくちゃいけなかったのがつらかった。
あの親がいるから“できる子”じゃないとダメなんだっていう感覚がずっと付きまとってた。
“できる子”が当然。
親からの絶対的な条件みたいなものを感じてやっていた。
その重圧が苦しかった。
そんな重圧、もう大学入ったころにはなくなってたんだろうね。
もう少し早く、
そんな状況から抜け出していれば、
リストカットを止めれていたのに。
大学3年の終わりから、
リストカットの理由が変わる前にこのことに気づけていたら、
もうリストカットはしないと言えたのに。
大学4年から、リストカットの理由は変わった。
親のことで切るなんて、
今年は一回もやらなかった。
もう少し早ければ、
もっと違くなってたのかな。
今は部から解放されたから、
当面はそんなことやる理由はないけど、
でもまた新たなストレッサーにさらされた時、
あたしはリストカットをやらないなんて言える自信はない。。。
話がすごく脱線した。苦笑
とりあえずね、
親の死で泣けるわ~って気づいてから、
働き始めたら、今まで苦労や費用かけた分、
お金少しでも送ろうかな~とか思った。
あと2,3年で両親定年退職だし、
実家にはお荷物(フリーターの2番目の兄貴)いるし。笑
これ↑今までのあたしには全くなかった感覚よ?!
勝手に野たれ死ねって思ってたくらいだから。笑
何はともあれ、
卒業前に大きな卒業しました。
親の重圧からの卒業ね。
最近のコメント